東京地方裁判所 昭和38年(ワ)4895号 判決 1964年4月16日
原告
折笠薫
右訴訟代理人弁護士
長戸路政行
被告
国
右代表者法務大臣
賀屋興宣
右指定代理人
宇佐美初男
ほか四名
主文
(1) 原告の請求を棄却する。
(2) 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「(1)被告は、原告に対し金二、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三五年六月二二日以降右支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。(2)訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり陳述した。
一、昭和三五年六月二一日午後五時二〇分頃函館市湯の川町一丁目先の丁字型交差点に於て、亡折笠昭夫運転の第二種原動機付自転車と訴外折戸敏克運転の普通貨物自動車(函一た〇二〇四号)が衝突し、亡昭夫は、右事故のため間もなく死亡した。
二、訴外折戸は、総理府北海道開発局函館開発建設部函館出張所に勤務する運転手であり、本件事故当日同開発建設部が使用する前記普通貨物自動車(以下単に被告車という)を運転して砂利敷作業に従事した後、前記出張所に帰る途中本件事故が発生したものであるから、被告は、亡昭夫の死亡によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。
三、損害は、次のとおりである。
(一) 亡昭夫の得べかりし利益の喪失による損害
亡昭夫は、本件事故当時満二五才(昭和一〇年二月一三日生)で、訴外株式会社ホンダモータースに勤務し、月額金二〇、三七〇円の給料を得ていたところ、厚生省発表の第一〇回生命表によると、満二五才の男子の平均余命は四四、〇九年であるから、亡昭夫は、少くともなお三五年間生存し、この間前記の所得をあげ得たものというべきである。ところで総理府統計局編日本統計年鑑によると昭和三五年度の全都市勤労者世帯一ケ月間の平均消費支出は金三二、〇九三円であるから、これを平均世帯人員数四、三八で除した金七、三二九円が一人当り平均消費支出である。従つて亡昭夫の一ケ月間の消費支出額は、金七、三二九円と推定することができる。そうすると亡昭夫は、三五年間に亘り、前記所得額から右消費支出額を控除した月額金一三、〇四三円(年額金一五六、五一六円)の純収入をあげ得た筈であり、その総額をホフマン式計算方法(複式)により年五分の中間利息を控除して一時に請求する金額に換算すると金三、一一七、三九九円となる。すなわち亡昭夫は、本件事故により右金額の得べかりし利益を喪失したものということができる。
(二) 亡昭夫に対する慰藉料金五〇〇、〇〇〇円。
(三) 亡昭夫の実母である原告に対する慰藉料金一、〇〇〇、〇〇〇円。
四 原告は、亡昭夫の唯一の相続人であるから、前項(一)及び(二)の損害賠償債権を相続により取得した。よつて原告は、被告に対し、前項(一)、(二)(三)の合計金四、六一七、三九九円の損害賠償債権を有するところ、内金二、〇〇〇、〇〇〇円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和三五年六月二三日以降右支拡済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と陳述し、被告の主張に対し次のように述べた。
本件事故が亡昭夫の過失のみに基因するものであつて訴外折戸に過失がなかつたとする被告の主張は否認する。すなわち訴外折戸は、右折に際し(1)直接肉眼で後方の安全を確認すべきであるのにこれを怠つた(2)交差点を内小廻りした過失があり、二者相まつて本件事故の主要な原因となつたものである。
被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり述べた。
一、請求原因第一項及び第二項の事実は認める。第三項中亡昭夫が本件事故当時満二五才であつたこと及び原告が亡昭夫の実母であることは認めるがその余は知らない。
二、自動車損害賠償保障法第三条の免責要件の主張
(一) 北海道開発局函館開発建設部及び訴外折戸は、被告車の運行に関し注意を怠らなかつた。
訴外折戸は、本件事故当時被告車を運転し、時速三〇乃至三五粁の速度で本件事故現場附近にさしかかり、右折のため交差点の約三〇米手前で右折の方向指示器をあげるとともに、バックミラーにより後方の安全を確認し、さらに右折の直前にもバックミラーによつて再び後方の安全を確認したが、何ら障害となるべき車輛等を発見しなかつたので時速一五粁位の速度で右折の態勢に入り、丁字型に交差する道路に入りかかろうとしたところ、後述するような無謀操縦をして来た原告車が後方から衝突して本件事故が発生したものである。
(二) 本件事故は、亡昭夫の重大な過失によつて発生したものである。
亡昭夫は、本件事故当日訴外丹野方で飲酒し酩酊の上、当時被告車の後方を追従していた三台の車輛を時速約六〇粁の高速で、しかも道路舗装部分一杯のジグザグ運転をしながらつぎつぎにこれを追越し、すでに方向指示器をあげて右折状態にはいつている被告車に衝突したものである。
当時亡昭夫は、下向の姿勢で運転し前方注視を怠つたこめに、被告車の右折に気付かなかつたと思われるのであつて、本件事故は亡昭夫の右に述べたような(イ)酩酊運転であること。(ロ)最高速度(時速四〇粁)を約二〇粁も超過する高速であつたこと。(ハ)道路舗装部分一ぱいにジグザグ運転をしたこと。(ニ)前方注視を怠つたことの過失によつて生じたものというべきである。
(三) 被告車に構造上の欠陥、機能の障害がなかつた。
三、仮りに訴外折戸に何らかの過失があつたとてしも、本件損害賠償額の算定については、亡昭夫の過失をしんしやくすべきである。
立証(省略)
理由
一、請求原因第一項の事実(本件事故の発生とこれによる亡昭夫死亡の事実)は当事者間に争いがない。
二、訴外折戸が総理府北海道開発局函館開発建設部函館出張所に勤務する運転手であること及び同訴外人が本件事故当日同開発建設部が使用する普通貨物自動車(函一た〇二〇四号、以下単に被告車という)を運転して砂利敷作業に従事した後、前記出張所に帰る途中本件事故が発生したことは当事者間に争いがないから、右開発建設部は本件事故当時被告車を自己のために運行の用に供したものというべきである。
三、よつて被告の抗弁について判断する。
(証拠―省略)を総合すると次のような事実を認定することができこの認定に反する証拠はない。
(一) 本件事故現場は、函館市湯の川町一丁目三番地先のT字型交差点であつて、西方函館市内より海岸に沿つて東方銭亀沢村に至る巾員約二一米の通称下海岸道路と北方湯の川町電車通りから南下して、右下海岸通りに通じる巾員約一四米の市道とがほぼ直角に交差し、事故現場から東方約二〇〇米の地点に汐見橋がある。事故現場から西方に対する見通しは、直線道路のため良好であるが、東方は、約八五米の地点において約三〇度北折しているため約一五〇米先まで見通しが可能である。右下海岸道路の中央には断続する白線を以つてセンターラインが標示され、本件事故当時はこれを中心にして道路中央部分が約九、二米に亘つて舗装されていたが、その南側約七、五米及び北側約四米は非舗装のままで歩車道の区別がなかつた。
(二) 訴外折戸は、本件事故当日同僚の磯部清治郎、高橋常雄、菊池某等とともに各自の担当する車輛を運転して砂利運搬の業務に従事した後、同日午後五時頃作業を終えて車庫に戻るため帰途についた。同日午後五時二〇分頃、訴外折戸は、被告車を運転して、前記下海岸道路を本件事故現場である前記交差点に向い、道路センターラインに沿つてその左側を時速約三〇乃至三五粁の速度で西進し、その後方五〇乃至六〇米位の地点を訴外磯部の運転する貨物自動車がさらにその後方七〇乃至八〇米位の地点を訴外高橋の運転する貨物自動車が、さらにその後方に訴外菊池の運転する貨物自動車がそれぞれ後続していた。
(三) 亡昭夫は、本件事故当日銭亀沢村の訴外丹野方で飲酒した上、第二種原動機付自転車(以下単に原告車という)に乗車して右丹野方を出発し、前記汐見橋附近で訴外高橋の運転する貨物自動車の進路を遮るような形で右側を追越した後、左前方に進出し、ついで時速約五〇粁の速度で訴外磯部の運転する貨物自動車を右側から追越して左前方に進出し、再び反転して右に進路を変え、被告車の背後からその右側を追越そうとする態勢になつた。
(四) 訴外折戸は、前記交差点を右折する予定であつたので、その手前約三〇米の地点で方向指示器をあげるとともに時速を約一〇乃至二〇粁位に落して徐行し、ついで約一〇米手前でバックミラーにより後方を確かめたが、障害となるような車輛等を発見しなかつたので交差点中心より稍内側を小廻りして右折の態勢にはいつたところ、車体の前部が右折道路にはいる直前、約四五度の角度に右折した被告車の荷台前部の右側足掛(運転台の右後附近)に、原告車が進路を稍斜右に向けた姿勢のまま直進して衝突した。
前記認定事実によると訴外折戸は、本件交差点を右折するに際し、その手前約三〇米の地点で方向指示器を上げるとともに時速を約一〇乃至二〇粁に落して徐行し、ついで約一〇米手前でバックミラーによつて後方の安全を確かめたところ、特に障害となる車輛等を発見しなかつたので右折の態勢にはいつたのであるから、前認定のような場合の運転手として一応その注意義務を果したものといえる。ところで原告は、訴外折戸が(1)後方の安全の確認を怠り肉眼でこれを確かめなかつた(2)交差点中心の内側を小廻りした過失があると主張するのでさらに右の二点について考察しよう。訴外折戸が右折の直前に後方の安全を確かめたが特に障害となるような車輛等を発見しなかつたことは前記のとおりであるけれども、当時原告車が被告車のバックミラーによつて発見し得る地点を進行していたとすれば、確認の方法に何等かの過失があつたとの推定が可能である。しかし前記認定の事実によると原告車は、時速約五〇粁の速度で大きく波型を描きながら進行し、訴外磯部の運転する貨物自動車を右側から追越した上左前方に進出し、ついで右に進路を変えてセンターラインを越えたのであつて、右の事実と原、被告車及び訴外磯部の運転する貨物自動車の速度、それぞれの間隔、衝突時の原、被告車の位置及び態勢等を総合すると、当時原告車は、被告車の左後方からセンターライン附近に向つて進行中であつたと認め得るから、訴外折戸が前記のようにこれを発見し得なかつたとしても、やむを得なかつたものといわなくてはならない。また特別の事情のない限り自動車運転者が右折に際しその都度肉眼で後方の安全を確める義務がある訳ではない許りでなく、前記のような原、被告車の態勢からすれば肉眼をもつてしてもこれを発見し得なかつたであろうことが明らかであるからいずれにしてもこの点において訴外折戸に過失があつたとすることはできない。また被告車が内小廻りして右折の態勢にはいつたことは、先に認定したとおりであり、当時施行されていた道路交通取締法第一四条第二項による自動車等が右折するときは交差点の中心の直近の外側を徐行して回らなければならないと定められていたのであるから、訴外折戸はこれに違反したものといわなくてはならないが、前認定のような事実からすれば、仮りに訴外折戸が交差点の中心の直近の外側を廻つて進行したとしても、本件事故を避け得たとは認められないから、この点をとらえて特に訴外折戸の過失をうんぬんすることは当を得ないものといわなければならない。
自動車運転者は、つねに法定の速度を遵守するとともに、前方及び左右を注視し、危険を感じた場合は直ちに徐行もしくは停止して事故の発生を未然に防止すべき義務があるとともに、先行車を追越す場合にもセンターラインを越えて反対側車道に進出することは不測の事故を発生させるおそれがあるから、このような運転をしてはならないことも明らかである。また原動機付自転車の運転者は、先行する貨物自動車の速度が自己の速度より遅く且先行車の左側に充分の余裕がある場合はその左側を進行すべきであり、みだりに進路を変じて先行車の右側から追越すべきではない。しかるに前認定の事実によると亡昭夫は、時速約五〇粁の高速で、しかも被告車の左側に舗装部分だけでも約二米、非舗装の部分を含めると九米余の余裕があり、この部分を進行するについて何らの支障がなかつたにも拘らず、あえてセンターラインを越えて反対側車道に進出した上、当時右折の態勢に入つていた被告車にそのまま衝突したのであるから、前記の注意義務をことごとく怠つたものといわなければならない。そして亡夫が前記のような無謀な運転をしなかつたならば本件事故の発生を避け得たであろうことは明らかであるから、本件事故は、亡昭夫の過失に起因するものということができる。これを要するに本件事故について訴外折戸に過失がなく、本件事故は、専ら亡昭夫の過失によるものといわなければならない。
しかして保有者である北海道開発局函館建部に運行上の過失がなかつたこと、被告車に構造上の欠陥及び機能の障害がなかつたことは当事者間に争いがないから、被告は、本件事故による損害を賠償する責を負わないものというべきである。
四、よつてその余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないものとしてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官小川善吉 裁判官吉野衛 茅沼英一)